2011年02月02日

朝の定期便 2011-02-02(水)

 
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>今朝の最低気温マイナス1.8度(04:10;さいたま市観測点)、晴れ→くもり。

>おはようございます。朝は少しの雲はあったものの晴れていましたが、9時を過ぎてからだんだんくもってきました。今日はこれから高気圧に挟まれた小さな低気圧(天気図には現れない程度のもの)が通過するために関東地方を含め、広い範囲でくもるという予報です。

>今日は、ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナの没後417年、フリッツ・クライスラーの136歳の誕生日です。

>今朝の朝食時の父、モリアキ翁(92歳)との話題は太平洋戦争時における日本軍の兵器に対するものでした。

>モリアキ翁は沖縄戦の生き残りです。沖縄戦の生き残りは、おそらく全員が反戦でしょう。戦後の残りの人生は失った仲間たちへの鎮魂となってしまったからです。モリアキ翁も若かった頃は、沖縄のかつての戦地に慰霊碑を建てたりする活動に従事していました。

>モリアキ翁はマルレ艇(制式名称「四式肉薄攻撃艇」)という特攻ボート部隊にいたことがあるそうです(特攻要員ではなかった)。ベニヤ製の小さなボートに多量の爆薬を積んで、敵艦船に体当たりするのが任務だったそうです。しかし、爆薬の量に比べてエンジン出力が小さいため、速度が遅く、その多くが敵艦にたどり着く前に米軍の射撃攻撃を受けて撃沈されてしまったということでした。

>1939年に登場した時には脚光を浴びたゼロ戦もあっという間に旧式化し、それどころか防弾装甲が一切なく被弾しやすいにもかかわらず、連合軍側では禁忌であった翼内燃料タンクを最後まで廃止しなかったために、ゼロ戦は運が悪ければたった1発の被弾で爆発して墜落する運命にありました。

>航空戦力とは機体の性能とパイロットの能力で決まります。パイロットは実戦を経験して帰還するごとにスキルが上がるため、連合軍側の航空機ではパイロットの生存率と機体の帰還率を高めることを第一としました。実際に、数百発の機銃弾を浴びながら帰投した米軍機の写真がたくさん残されています(こういう写真は当事者に残したいという圧力が働くからでしょう)。

>以前NHKで放送された「軍令部反省会」では、当時の若い技術将校が会議で軍用機の「防弾装甲」について進言しても、より高い地位の将校の意見(訓練で弾が当たらないようにすればよい)が採用されてしまう“流れ”が話されていました。会議は最もよい方法を見いだすために行われるものなのに、それでは意味がありません。

>巨艦巨砲主義によって建造された戦艦大和も1940年代には無用の兵器でした。今の金額に直して数兆円という建造費がかかるのに、わずか数千万円で製造できる航空機による攻撃で沈められてしまったわけですから、コストパフォーマンス面でも無駄が多過ぎました。大和一隻の建造費で、複数の高速駆逐艦が建造できたことでしょう。それらに空母を守らせて航空戦力を充実させることもできたことでしょう(後知恵であると言われそうですが、当時、世界の趨勢は航空戦力と機動力に移っていました)。

>モリアキ翁には、ガダルカナル島にしても硫黄島にしても、死ぬ必要がない日本軍兵士たちが亡くなってしまったことに悔しさがあるようでした。80代後半まで彼は毎年正月、靖国神社で戦死した同胞たちに祈りを捧げていました。今はキッチンの小さな神棚に祈っています。

>私たちは単に太平洋戦争の歴史を学ぶのではなく、そこで行われた現実とは乖離した作戦立案や、人命軽視という戦争の本質を知ることが重要であると考えます。

>それは、当時の日本の軍部の問題だけではなく、ベトナムに派兵したアメリカもアフガニスタンに進行した旧ソ連も犯した愚であり、現在に至ってもイラクでは多くの米兵など多国籍軍の兵士が命を落とし続けているのを見れば分かります。結局戦争の本質は「人命軽視」です。

>今日は書きませんが、その人命軽視の現れのひとつが原子力発電です。原子力発電所が事故を起こさずに寿命を終えたとしても、未だ完全に無害な廃炉の方法が確率されていません。こういうことが堂々とまかりとおっているのも、戦争について本当の意味での総括がおこなわれていないからであると思います。

>気象情報

実況天気図

地域時系列予報(埼玉県)

気象衛星 赤外日本域画像

気象衛星 可視光全球画像

>昨日の最高・日最高気温は沖縄県 仲筋観測点の19.7度(12:31)、最低・日最低気温は北海道 網走・北見・紋別地方 生田原観測点のマイナス24.4度(22:18)、最低・日最高気温は北海道 釧路地方 阿寒湖畔観測点のマイナス9.8度(13:06)、最高・日最低気温は沖縄県 志多阿原観測点の14.9度(00:16)でした。

>今日のFM番組から

・名曲のたのしみ(再)私の試聴室

プロコフィエフ、マルティヌー、ヒンデミットのフルートソナタ。ウィーンフィルのウォルフガング・シュルツの演奏も素晴らしく、また聴いてしまいました。秀逸なCDです。欲しいけど、昨日海外に別の希少なCDを発注してしまったので、少しのあいだ重篤な金欠病の治療に専念しなければ。

番組詳細

・午後2時00分 クラシックカフェ

ラフマニノフとコルンゴルトを中心としたプログラム。ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調」は、あまり演奏機会が多くありませんが、作品番号1という記念すべき曲なので、ラフマニノフファンなら押さえておくべき1曲かも知れません。ほかにバッハとクライスラー。

番組詳細

・午後7時30分 ベストオブクラシック 大萩康司 ギター・リサイタル

番組詳細

>2月2日の過去のできごと

1594年 私が「音楽史上の10人の作曲家」に選んでいる、イタリア・ルネッサンス後期に活躍したジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ没。「教皇マルチェルスのミサ曲」は必聴曲。できれば全曲を覚えてしまいたい曲です。あなたの中に線的対位法のセンスが育つことでしょう。
1669年 フランスの作曲家、ルイ・マルシャン誕生。バッハとの音楽対決を前に敵前逃亡した話ばかりが有名ですが(真偽のほどは差だかではありません)、当時は人気作曲家でした。
1875年 オーストリアのヴァイオリニストで作曲家のフリッツ・クライスラー誕生。同年生まれにアルベルト・シュバイツァー(医師と思われていますが、オルガニストが本業)、モーリス・ラヴェル、ピエール・モントゥー(“春の祭典”ほかを初演した指揮者)らがいます。
1901年 リトアニア出身のヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ誕生。20世紀を代表するヴァイオリニストのひとり。同年生まれに作曲家のアンリ・トマジ、ホアキン・ロドリーゴ(“アランフェスの協奏曲”の作曲家)ら。
1970年 イギリスの数学者・哲学者のバートランド・ラッセル没。
1987年 ブルーノート・レーベルの創設者、アルフレッド・ライオン没。
2003年 アメリカの作曲家、ルー・ハリソン没。 音律に対して非常に鋭敏な感覚を持っていた作曲家。

 
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posted by tomlin at 12:15| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 定期便 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする